水墨画教室の会報に載せた文章です。一般には出ないものなので、ここに載せます。
日本の芸術観が外国とは違うことに気がついて、『笈の小文』の前文を読みかえしてみた。
「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり (中略)ただこの一筋に繋がる」とは、芭蕉が信じる芸術の系譜だろうが、なにが同じと考えているのか、これだけでは判らない。高校生の時に読んだ私は、単に有名人の名前を挙げて、同族としての自己宣伝をしていると感じて罵倒した覚えがある。
「造化にしたがひて四時を友とする。」宇宙存在と時間を問題にしていると考えられる。自然と四季を友として、といった文字づらの解釈ではもの足りない。すでに『野ざらし紀行』を経ているのだ。
「夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかえれとなり。」とは芸術を通して、人として生きるとの宣言だろうが、最後の二句は簡単ではない。その証明を芭蕉は行わなければならない。
こうして読み直してみると、私が信じている芸術論は、江戸時代初期には確立しているようだ。私がこの一筋に繋がっているのかどうかは別にして、この芸術論を世界の普遍としたい。