水墨画と仕舞い

仕舞の動画を見ていて気が付いたことがある。

能の本舞台は、金糸銀糸に色鮮やかな衣装を身に纒い、笛太鼓に謡の面々を揃えた絢爛豪華なものである。

しかしながらその骨格は、直面に袴姿で舞う、仕舞いにある。

水墨画といわゆる琳派の関係もこれに似ている。

岡倉天心が言うように、俵屋宗達は水墨画ができることにより、偉大な彩色画家であるのだ。

 

 

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ポピー

デッサン

    ふと思いついた、しかしなんだかよくわからない考えを、文字にして書き出してみると、それが何物であるかはっきりとすることがある。

    感じていたよりもはるかに重大であったり、思いの外にくだらない迷いであったりする。

    物を見て描く、素描と言って良いのかデッサンと言って良いのか、迷うところであるのだが、その行いにはそれと同じような働きがある。視覚には言語に頼るところと、それを離れたところがあるのが面白い。

画家が日常的にデッサンを行うのは、常に自分を問い続け、人間とは何かと問い続けるのが芸術と考えるからで、そこに現れる風景に諾否の判断を下し続ける他に、方法がないからだ。

    そうした行為にどんな意味があるのかと問うならば、その問いを発した場所をまず申請しなければならない。

そんな所での話だ。

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日本の芸術観

 水墨画教室の会報に載せた文章です。一般には出ないものなので、ここに載せます。

 

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日本の芸術観が外国とは違うことに気がついて、『笈の小文』の前文を読みかえしてみた。

「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫道するものは一なり (中略)ただこの一筋に繋がる」とは、芭蕉が信じる芸術の系譜だろうが、なにが同じと考えているのか、これだけでは判らない。高校生の時に読んだ私は、単に有名人の名前を挙げて、同族としての自己宣伝をしていると感じて罵倒した覚えがある。

    「造化にしたがひて四時を友とする。」宇宙存在と時間を問題にしていると考えられる。自然と四季を友として、といった文字づらの解釈ではもの足りない。すでに『野ざらし紀行』を経ているのだ。

    「夷狄を出、鳥獣を離れて、造化にしたがひ、造化にかえれとなり。」とは芸術を通して、人として生きるとの宣言だろうが、最後の二句は簡単ではない。その証明を芭蕉は行わなければならない。

こうして読み直してみると、私が信じている芸術論は、江戸時代初期には確立しているようだ。私がこの一筋に繋がっているのかどうかは別にして、この芸術論を世界の普遍としたい。