日本人は変わった

日高六郎が語る戦後の中で、示唆をうけた。

敗戦は日本人に大きな影響を与えたことは誰にでも判るが、もう一つ1980年代のバブル景気の時に日本人は変わったというのだ。

最近になって、世の中の趨勢と乖離を感じることが多いのだが、こう言われると良くわかる。

丁度この時期に私は奥多摩の山中に転居して、鎌倉時代から江戸時代の絵画を自分なりに理解することに集中していたので、社会の影響を受けながらも理解をしていなかったようだ。

 

産業社会が人間性を破壊して行くということは、古くからいわれている。しかしその事が現実になった時には、我々はそれに気が付かない。

私が日本画を理解するのに長く時間を要してしまったのには、それが本当の意味では省みられることなく、歴史として語る者もないことによる。それでも注意していると、断片的に有意義な評論があるのだから、纏めてくれる人がいても良さそうなものに思える。歴史の重要性を私たちはあまり理解していないのではないか。

 

それはそれとして、大きな歴史的な変化、断絶ともいうべき変化が生まれていたのに気が付かなかったことに愕然としている。

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寺田透「繪画とその周邊」を読む

石井恭二の本を読んでいたら、寺田透の文章が引用してあり、興味深く読んだ。とても繊細に物事を感じて、考えている人だと思った。「繪画とその周邊」を発注する。

「僕は偈(仏典などで、韻文の形をとる表現形式 #海野注)といふものを、有るえり抜きの状況において、散文的段取りによらずして意味をつたへる、といふより意味そのものとして炸裂する非常に強大なエネルギーをもった非論理的言語表現といふふうに思っゐるが、このエネルギーを一挙に感じとり、自分のものとするようにあらかじめできてゐる人間でない限り、偈の意味を、その真の現実性において受けとることはできないと考える。分かるには分かるという程度の受けとり方しかできず、偈の語らんとするところは仮説の状態でかろうじてひとり念頭に宿り得るに留まるのである。」

これは偈についての文章だが、美術についても言えることに思える。

氏はさらに批判的に文章を続ける。

「非常に高い独自なものをその狭小な頂点において持っている日本の文化が、その底辺においては無定形な、雑駁な、醜悪、卑猥な様相を呈してゐることの原因も、この辺りにいくぶんかありはしなかろうか。」

良いところを突いている。しかし、では他に解決策があるのかどうかは分からない。分からないところに、芸術が発動するのだとは思う。

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