村上華岳の落款

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華岳の落款の押し方を確かめたくなって、画集を開いた。

彼の師の栖鳳はかなり構成的で見事な置き方をするが、華岳は画面の端近くに接して置いている記憶があって、あれはどんな思考なのかと気になったのだ。

落款によって絵が生きたり死んだりするので、署名と落款の位置に気を使うのは当たり前だ。そのためには一般的な約束事は無視される事もある。これも当然の成り行きだ。

晩年の華岳の絵は小さいので、それに比較して彼の印は大きいと言える。中には二つ押してある作品もある。それなのに、画面の端ぎりぎりにに押してある。小さな印にして、もう少し中に押しても良いはずだ。

没年の作品には署名と落款をせずに終わった物があり、それは波光が代わって押しているという。それらの署名のない落款だけの作品を見ると、波光は華岳の流儀を尊重しているように見えるのだが、やはり少し内側に押してある。それが正当だろう。

実は華岳の印が気になって確認するのは今回が初めてではない。自分で印を押す時に、迷うと不思議と華岳の印の位置が気にかかるのだ。栖鳳の間を詰めた、見事な置き方を見ようとは思わない。

おそらく、答えを探しているのではなくて、納得をしようとしているのだろう。自分の感覚を信じる事に。

 

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