『攻殻機動隊SACA–2045』をみた時に、この意識が基本になる時代になったのだなぁと、一種の感慨を感じた。
私が日本という国の1970年頃に聞いた、ポストモダンという言葉の軽薄さは、もうここにはない。
話は「攻殻機動隊」に戻るが、ラスト近くで草彅少佐が下す決断から先は、商業的なサービスだ。
私達にとって、更なる苦難以上の解決策はあり得ないと、分かっているはずだろし、Nという時間稼ぎも、ポストヒューマンという未来もあり得ないと分かっているのだから。
考えてみると、こうした時の身の処し方について、日本の文化はひたすらに鍛えてきたのだった。そこにこそ日本の芸術の特異性があると考えている。
とはいえ、基本的な時代の意識観がこうなっていると、知っていなければならないと思った。