「攻殻機動隊」のポストモダン

 『攻殻機動隊SACA–2045』をみた時に、この意識が基本になる時代になったのだなぁと、一種の感慨を感じた。

 私が日本という国の1970年頃に聞いた、ポストモダンという言葉の軽薄さは、もうここにはない。

 話は「攻殻機動隊」に戻るが、ラスト近くで草彅少佐が下す決断から先は、商業的なサービスだ。

 私達にとって、更なる苦難以上の解決策はあり得ないと、分かっているはずだろし、Nという時間稼ぎも、ポストヒューマンという未来もあり得ないと分かっているのだから。

 考えてみると、こうした時の身の処し方について、日本の文化はひたすらに鍛えてきたのだった。そこにこそ日本の芸術の特異性があると考えている。

 とはいえ、基本的な時代の意識観がこうなっていると、知っていなければならないと思った。

南院派筆 暴れる羊毛短峰

水茎堂の復刻筆と創作筆。羊毛の短峰形。気に入って最近使い込んでいる。

左より 南院、南院小、(復刻筆) 。南院を元にして創作した南院派大、南院派小

狸毛が入っていることで、独特の硬さが生まれている。羊毛のトロッとした粘りは少し失われるが、筆の穂を下ろしきった段階からの展開に面白さが生まれるのが楽しくて、使い込んでいる。