池大雅の魅力


「画家の語る日本美術史」番外編で、池大雅の真景図について語っています。
https://youtu.be/tS8EC6FP3mw


 池大雅は江戸時代の画家として、少なくとも敗戦前までは高く評価されていたが、西欧的近代化の中で分かりにくい画家になっています。
 それは「文人画」というレッテルのために彼の絵が見えなくなっていること、つまり文人画という視点の他に有効な批評を立てられていないということが原因になっています。
 大雅は、アナーキーで突き抜けた画家ですが、蕭白などの方が個性的に見えてしまうのが、西欧近代なのだと思います。

海野次郎展 postmodernと間

奥多摩町立 せせらぎの里美術館    2022年4月7日(木)~5月29日(月)

会期:2022年4月7日(木)~5月29日(月) 月曜休館

開催時間:10:00~17:00 最終日は15:00まで

会場: 奥多摩町立 せせらぎの里美術館

 TEI  (0428)85~1109

 東京都西多摩郡奥多摩町川井53   JR青梅線 御嶽駅より徒歩20分

ギャラリートーク    2022年5月15日(日)13:00~

入場料  大人¥300円 小中学生¥200円

昨今のコロナウィルスによる状況をみての開催となります。ご来場の節はホームページなどでご確認下さい。

松澤宥展

 

 松澤宥展を見に、長野県立美術館まで出かけた。松澤はリアルタイムに知っていたが、全体像が掴めていなかったので、今回の企画展示はありがたかった。日本のコンセプチュアルアートの作家として、美術史的に記憶される作家だと思う。

 ただし今回の企画を通して見えた全体像からすると、私としてはその中身が有効には思えない。それは恐らく彼の覚悟の浅さに起因するのだろう。私にはそうした芸術は評価できない。

膠を炙る

 柾目の手ごろな板が欲しいと思ってホームセンターへ行くが、無かった。捨てるつもりの古い箱があったのを思い出して、押し入れを探すと、ちょうど良い寸法の材が取れそうな箱が見つかった。

 こうした昔の細工は、膠で付けてある物だと思い出して、ガス台で炙って力を入れると、きれいに分解された。なんという日本の文化の素晴らしさよ。ぼろ箱も無駄にできない。

時間のある水墨画

 二、三ヶ月前に描いた絵だが、画室の壁が狭くて全体をよく見ることができなかった。先日会場へ置いてみて、やっと検証することができた。

 この大きさの水墨画は初めてで、今回はパルプを加工したロール紙に描いた。勿論、紙の反応は鈍く、墨の線も発色も冴えなくて表現の幅は狭ばまる。 

 紙が違うということは、絵画の本質的な問題に関わることに改めて直面した。描いている最中にはその対応で追われ、細かく考えることもなかったが、こうして終わった作品を検討してみると、やっていたことの意味がわかり、さらにその新たな可能性も感じることができる。

 私は、主に宣紙という敏感で表現力のある紙を主体に使ってきたのだが、それは自分を顕にするためで、これは私が水墨画を自己存在を刹那の物として考えているからだ。

 ところがそれとは別に、もう一つ自己同一化した意識という物もあり、これが時間という概念と繋がって人間の文化を作り上げている。どちらが正しいということはないのだが、そうしたものに対応する絵画という物もあって、そちらからすると、描いたり塗ったりを重ねることが必要になる。

 こうした絵画にも間が働くとしたら、どういった物になるのか試してみたくなった。