復元 芳文先生 筆 

IMG_6367

 

水茎堂さんの復元筆シリーズ「芳文先生」を試す。羊毛主体の運筆筆。長くも短くもなく、正統的な形。個人的には少し太味を感じるが、その分含みが良くて肥痩の線が自由に引け、表現力は増す。

画家としては、つい筆に極端な形を求めて表現の変化としたり、己の技の助けとするのだが、これだけまともで表現力の有る筆を前にすると、己の拙さを恥じる。

あまりにも気持ちの良い筆なので、つい電話をして感想を述べたのだが、使われている材料が良いものなのだと知らされた。粘るようにこちらの意志のままについてくる感覚は、やはり材料によるところも有るのだろう。正直なものだなぁと話し合った。

こうした筆を使ってみて、また新たに菊池芳文の絵などを見てみると、違ったものになるだろうとは想像がつく。ありがたい体験となった。

村上華岳の落款

IMG_6309

 

華岳の落款の押し方を確かめたくなって、画集を開いた。

彼の師の栖鳳はかなり構成的で見事な置き方をするが、華岳は画面の端近くに接して置いている記憶があって、あれはどんな思考なのかと気になったのだ。

落款によって絵が生きたり死んだりするので、署名と落款の位置に気を使うのは当たり前だ。そのためには一般的な約束事は無視される事もある。これも当然の成り行きだ。

晩年の華岳の絵は小さいので、それに比較して彼の印は大きいと言える。中には二つ押してある作品もある。それなのに、画面の端ぎりぎりにに押してある。小さな印にして、もう少し中に押しても良いはずだ。

没年の作品には署名と落款をせずに終わった物があり、それは波光が代わって押しているという。それらの署名のない落款だけの作品を見ると、波光は華岳の流儀を尊重しているように見えるのだが、やはり少し内側に押してある。それが正当だろう。

実は華岳の印が気になって確認するのは今回が初めてではない。自分で印を押す時に、迷うと不思議と華岳の印の位置が気にかかるのだ。栖鳳の間を詰めた、見事な置き方を見ようとは思わない。

おそらく、答えを探しているのではなくて、納得をしようとしているのだろう。自分の感覚を信じる事に。

 

『足跡』展 たましん美術館 

たましん美術館の開館企画Ⅲ『足跡』展。私はAct.3での展示になる。奥多摩へ転居したばかりの頃の幻想風な作品と、昨年描いた水墨画が並ぶ。

この美術館が地域に果たす役割は、丁寧な地域への見守りの姿勢にあると思う。現在は公立の美術館にもこうした視点が失われていて、貴重な存在になっている。

 

ましん美術館「足跡」2021ポスター2

ピーター・ドイグ展

IMG_6018

 

国立近代美術館「ピータ・ドイグ展」

美術展へ出かけるのは、ほんとうに久しぶりだ。10ヶ月?

以前だったらあり得ないことなのだが、無理をしてまで見たいと思う展示もなかった。最近の美術館に出かける気がしなくなっているのも確かだ。ゆっくり見るという楽しみが無くなってきていて、アトラクションにでも付き合っている気分になる。

 

ドイグの展示予告を見たときに、「イギリスで画家の中の画家と言われている」という一文があり、興味を持った。図版だけでは分からないが、これを批評してマーケットにのせるシステムと国に興味を持った。とてもそんな絵とは思えないのだが、実物はどうなんだろう。もしかしたら、思ったより面白いかもしれないと期待もした。

 

美術館も新型コロナ対策で予約制をとっているが、それほどに混むとは思えないので、普通に出かけた。案の定客は少なかった。

ビデオ画像から引用したと思われる絵画。過去の有名作家を思わせるテクニック。いろいろの方法が試みられているので、それが「画家の中の画家」ということらしいが、あいにく面白いとは思えなかった。絵の横の解説は数行読んで止めた。うるさい。勝手に見させてくれと思った。見ているだけで面白くないようなら、自分とは縁がないのだ。

 

批評家には良い素材かもしれないとは思った。何十億円で売れたとかは投資の問題だ。もうそういう時代は終わったなぁと、感慨深かった。

覚悟

最近、寺田透の本を読んでいる。彼は1915年に生まれて、1995年に亡くなっている。私の父より少し若く、母よりも年長だ。

大学生の頃、美術や文芸の評論を幾つか読んだ覚えがある。正統なことを言っているのだが、難渋で読むのに疲労したのを覚えている。途中からは避けていた。

再読をするきっかけになったのは、石井恭二の現代語訳「正法眼蔵」の注に引用されていた、禅の「偈」という詩型についての言及だった。この一文を書いた寺田と引用した石井の間に、ただならぬ空気を感じたからだ。

あらためて「絵画の周辺」を読み、彼の美術批評の凄さに驚いた。私が密かに紡いでいた日本美術史の解釈について、すでにいくつもの点を抑えて指摘しているのだった。これは画家でないとわからない視点と思っていただけに唸った。なぜ彼だけが気づいたのだろう。

寺田は自分の評論の姿勢を書いている。絵画であろうと文芸であろうと、自分の存在を脅かすもの(作品)に拮抗する業だというのだ。したがって彼の文章は、論理を真っ直ぐに並べるようなことにはならない。身体の伴った思考のうねりが常に同居していて、いささかの偽りも許されないという姿勢がある。解らないところはそれを述べて、言い直すこともたびたびだ。それが晦渋の気味を醸し出す。そのことで、誰もが見えなかったものを見て、指摘する。並の評論家だったら、それらを己の手柄とするだろう。しかし、そのことに留意している気配がない。なぜだろう。

私はいま、寺田の「道元の言語宇宙」を少しずつ読んでいる。この本の一部は岩波書店の公開講座で語られたものだ。聴衆は戦争を経験してきた同じ世代の人たちだろう。寺田は「眼蔵」を坐禅する人の思惟であると断言して、自分とは分離しながらもそれを読み解こうとする。ここにあるのは何だろうか。

私には、一つ答えを導き出すことを求めていたとは思えない。存在のために、自分の目で見て感じ、考えることの覚悟をした人たちが居たのだと思う。

今日は八月の十五日だ。覚悟を忘れないでいよう。

IMG_5973

8月の風景