「攻殻機動隊」のポストモダン

 『攻殻機動隊SACA–2045』をみた時に、この意識が基本になる時代になったのだなぁと、一種の感慨を感じた。

 私が日本という国の1970年頃に聞いた、ポストモダンという言葉の軽薄さは、もうここにはない。

 話は「攻殻機動隊」に戻るが、ラスト近くで草彅少佐が下す決断から先は、商業的なサービスだ。

 私達にとって、更なる苦難以上の解決策はあり得ないと、分かっているはずだろし、Nという時間稼ぎも、ポストヒューマンという未来もあり得ないと分かっているのだから。

 考えてみると、こうした時の身の処し方について、日本の文化はひたすらに鍛えてきたのだった。そこにこそ日本の芸術の特異性があると考えている。

 とはいえ、基本的な時代の意識観がこうなっていると、知っていなければならないと思った。

postmodernと「間」

2022.04 奥多摩町立せせらぎの里美術館

 

 現在、奥多摩町のせせらぎの里美術館で行われている展覧会は、副題として「ポストモダンと「間」」と題されている(2022.5月29日まで)。展示では詳しく述べていないので、この副題について思うところを書いてみようと思う。

 ポストモダン(近代以後)というからには、近代とは何かと考えなければならない。それは神権・王権を否定して人権を唱え、その根拠として合理性(例えば論理科学)を当てたことにあると考える。

 これにより人類が大きな物質的な富を手にしたことは確かだろう。だがそれによる弊害や矛盾が生まれ、第1次世界大戦により人々はそれを強く認識した。この頃からポストモダンが意識される。

 

 しかしポストモダンは言うに易く、行うに難しだ。人権と論理的合理主義に代わる価値観とそれを保証する機構や技術が機能しなければならない。近代は弊害を抱えながらも、第二次世界大戦をも越えて生き延びて来た。

 とはいえ科学技術が発達したことにより、人類の行いは地球の自然を壊滅的に破壊し続け、その生存環境をも危うくするに至っている。覇権を争っている場合ではない。

 

 ポストモダンの時代には、世界は意識が作り出した仮想のものだと理解したうえで、共通の社会を生きることになると考えられる。一つの価値観に固着しない「間」(動的平衡)は、変革の時代に広く必要な感覚だ。そうした時代に至っている。

Postmodernism and “Ma”

Jiro Unno

The current exhibition at the Seseraginosato Art Museum in Okutama is subtitled “Postmodern and ‘Ma'” (until May 29, 2022). Since the exhibition does not go into detail, I would like to  elaborate what I think about this subtitle.
 
The term “postmodern” means that we have to consider what modernity is. I believe that it is the rejection of divine and royal authority, the advocacy of human rights, and the application of rationality (e.g., logical science) as the basis for these rights.
 
It is certain that mankind has gained great material wealth as a result of this. However, it also brought about adverse effects and contradictions, and the First World War made people keenly aware of these. It was around this time that people became aware of the postmodern era.
 
 
However, postmodernism is easier said than done. Values that replace human rights and logical rationalism, and the mechanisms and technologies that guarantee them, must function. Modernity has survived beyond the Second World War, despite its detrimental effects.

 
Nevertheless, with the development of science and technology, mankind’s actions have continued to devastate the earth’s natural environment, endangering its very survival. This is no time to be fighting for supremacy.
 
 
In the postmodern era, we are expected to live in a common society based on the understanding that the world is a virtual one created by our consciousness. A sense of “MA” (dynamic equilibrium) that does not adhere to a single set of values is widely needed in this age of change. We have reached such an era.

(translated by Sam Shikama)

海野次郎展 postmodernと間

奥多摩町立 せせらぎの里美術館    2022年4月7日(木)~5月29日(月)

会期:2022年4月7日(木)~5月29日(月) 月曜休館

開催時間:10:00~17:00 最終日は15:00まで

会場: 奥多摩町立 せせらぎの里美術館

 TEI  (0428)85~1109

 東京都西多摩郡奥多摩町川井53   JR青梅線 御嶽駅より徒歩20分

ギャラリートーク    2022年5月15日(日)13:00~

入場料  大人¥300円 小中学生¥200円

昨今のコロナウィルスによる状況をみての開催となります。ご来場の節はホームページなどでご確認下さい。

松澤宥展

 

 松澤宥展を見に、長野県立美術館まで出かけた。松澤はリアルタイムに知っていたが、全体像が掴めていなかったので、今回の企画展示はありがたかった。日本のコンセプチュアルアートの作家として、美術史的に記憶される作家だと思う。

 ただし今回の企画を通して見えた全体像からすると、私としてはその中身が有効には思えない。それは恐らく彼の覚悟の浅さに起因するのだろう。私にはそうした芸術は評価できない。

時間のある水墨画

 二、三ヶ月前に描いた絵だが、画室の壁が狭くて全体をよく見ることができなかった。先日会場へ置いてみて、やっと検証することができた。

 この大きさの水墨画は初めてで、今回はパルプを加工したロール紙に描いた。勿論、紙の反応は鈍く、墨の線も発色も冴えなくて表現の幅は狭ばまる。 

 紙が違うということは、絵画の本質的な問題に関わることに改めて直面した。描いている最中にはその対応で追われ、細かく考えることもなかったが、こうして終わった作品を検討してみると、やっていたことの意味がわかり、さらにその新たな可能性も感じることができる。

 私は、主に宣紙という敏感で表現力のある紙を主体に使ってきたのだが、それは自分を顕にするためで、これは私が水墨画を自己存在を刹那の物として考えているからだ。

 ところがそれとは別に、もう一つ自己同一化した意識という物もあり、これが時間という概念と繋がって人間の文化を作り上げている。どちらが正しいということはないのだが、そうしたものに対応する絵画という物もあって、そちらからすると、描いたり塗ったりを重ねることが必要になる。

 こうした絵画にも間が働くとしたら、どういった物になるのか試してみたくなった。