何かが出現する時

 

何かが出現する時、

それが自分でも他人でも

現実でも虚構でもいい

誰が撮っても誰が書いてもいい

今のナマの現実よりも

そこに立ち合えること

何かが出来上がる瞬間

それを目撃することに

感動することが多くなった

大原樹雄

 

知人の写真展へ行ったので、ふと40年以前に見た雑誌のことを想い出した。 大森大道が「光と影」という連載をやっていて、毎号彼がのたうちながら思考し、写真を撮っているのが愉快だった。

感動できることは幸せだ。

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デッサン

    ふと思いついた、しかしなんだかよくわからない考えを、文字にして書き出してみると、それが何物であるかはっきりとすることがある。

    感じていたよりもはるかに重大であったり、思いの外にくだらない迷いであったりする。

    物を見て描く、素描と言って良いのかデッサンと言って良いのか、迷うところであるのだが、その行いにはそれと同じような働きがある。視覚には言語に頼るところと、それを離れたところがあるのが面白い。

画家が日常的にデッサンを行うのは、常に自分を問い続け、人間とは何かと問い続けるのが芸術と考えるからで、そこに現れる風景に諾否の判断を下し続ける他に、方法がないからだ。

    そうした行為にどんな意味があるのかと問うならば、その問いを発した場所をまず申請しなければならない。

そんな所での話だ。

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