「海人」を観て

千駄ヶ谷の能楽堂で『海人』を観る。この演目はダイナミックな構成のためか、人気があるようだ。しかし、私はどうもいつも途中で眠くなってしまい、ほとんどの時間を夢うつつで過ごすのを常としている。

これはこれで良いものだと思って、その夜も会場の椅子に座っていた。

 

ところが今回の友枝明世のシテは、亡き母の幽体が良くて、「・・波の底に沈みけり 立つ波の下に入りにけり・・・」と前シテが退場するまで目が離せなかった。いつもは聞き流すこの言葉にも、現実味があって凄みを感じた。

もっとも、私はその後スーと眠りに入って、気がつくと龍女になった後シテが立っていた。しかし意識を戻さないことにして、夢うつつでこの舞を楽しんだ。

 

千駄ヶ谷から奥多摩の奥にある我が家までの道のりは遠い。

帰りの電車の中で、正法眼蔵の『光明』の章を眺めていた。「地獄道・餓鬼道・畜生道・人間道・天に光明がある。これらの諸世界がどのようであるかを、一切は光明である他はないと説いてる」とあった。

舞台の上に五色の光明が現れるのを眺めていたのか、私が五色の光明だったのだろうかと思いながら、山の湖畔にある凍りついた家に辿り着いた。

2020.01.19

0CD79A76-1E91-4212-B233-AB0F076B1F8C

意識と意志

意識で意識を排除すると意識になるので、意志で排除しようと試みてる。無意識になると自動機械になるので、これも違う。

試みながら、これが初めから自分のやりたかったことだと分かってくる。しかし、それが分かるのに半世紀かと思うと愕然とする。とは言いながら、それが、ほんの昨日のことだということも分かる。

 

試みが成功しているのか、失敗しているのか、今のところ検証する方法を知らない。

「100年の編み手たち 」 東京都現代美術館

東京都現代美術館が改装になって良くなったという評判を聞いて、のこのこでかけてみた。

「100年の編み手たち」と題して、この百年間、その時々の「現代」をリードした人に焦点を当てながら作品を選んで展示している。所蔵品から選んでいるらしく、仕方ない事ではあろうが、企画意図を満たすにはほど遠い展示だった。そして、この所蔵品の質量に薄ら寒さを感じてしまった。

東京都現代美術館という名前を頂いているのに、この規模の建物とコレクションしきり持たないということに愕然とする。世界の情勢からはほど遠い。

購入予算が少ないと推察できるが、つまりは行政や議会が社会の展望を創る意志の無いことを示している。木場の現代美術館のありようそのものが一番の現代美術だった。

IMG_4339

日本人は変わった

日高六郎が語る戦後の中で、示唆をうけた。

敗戦は日本人に大きな影響を与えたことは誰にでも判るが、もう一つ1980年代のバブル景気の時に日本人は変わったというのだ。

最近になって、世の中の趨勢と乖離を感じることが多いのだが、こう言われると良くわかる。

丁度この時期に私は奥多摩の山中に転居して、鎌倉時代から江戸時代の絵画を自分なりに理解することに集中していたので、社会の影響を受けながらも理解をしていなかったようだ。

 

産業社会が人間性を破壊して行くということは、古くからいわれている。しかしその事が現実になった時には、我々はそれに気が付かない。

私が日本画を理解するのに長く時間を要してしまったのには、それが本当の意味では省みられることなく、歴史として語る者もないことによる。それでも注意していると、断片的に有意義な評論があるのだから、纏めてくれる人がいても良さそうなものに思える。歴史の重要性を私たちはあまり理解していないのではないか。

 

それはそれとして、大きな歴史的な変化、断絶ともいうべき変化が生まれていたのに気が付かなかったことに愕然としている。

IMG_3892

何かが出現する時

 

何かが出現する時、

それが自分でも他人でも

現実でも虚構でもいい

誰が撮っても誰が書いてもいい

今のナマの現実よりも

そこに立ち合えること

何かが出来上がる瞬間

それを目撃することに

感動することが多くなった

大原樹雄

 

知人の写真展へ行ったので、ふと40年以前に見た雑誌のことを想い出した。 大森大道が「光と影」という連載をやっていて、毎号彼がのたうちながら思考し、写真を撮っているのが愉快だった。

感動できることは幸せだ。

IMG_3933