ポストモダンの水墨画とは

 新年明けましておめでとうございます。
 歳の初めに、自分の考える水墨画について明確にしておこうと思っていたのだが、書くのに時間がかかってしまった。

 私の想う水墨画は「芸術とは人間として自由に生きるための技術」という定義に基づく。その視点で美術史を組み立てていて、そこから水墨画が生まれてくると考えているのだ。

 近代の終焉は幾度も叫ばれながらも、その度に生き延びて現代に至っている。多くの人が、人間の欲望と定理を基準とした哲学に代わる、新しい時代の哲学を受け入れることは簡単ではないだろう。しかしそういっている間に、世界は取り返しのつかない様相を示しつつある。そんな時代の芸術とは、自己の自由に頼るものとなる。

 翻って考えてみると、そうした芸術は、こうした時代の変換期に幾度も生まれてきた。水墨画の歴史は、そのように解釈される物の一つだろう。

 世界を自分の目で見ることにより、自分が見え、自己を脱した自由となる。近代の終わる時、この技術は一部の者にだけではなく、多くの人に求められることになる。それゆえに、私は自分が描くだけではなく、求める人にもこの術を教えることを重視している。私が考えるポストモダンの芸術とは、このような物だ。

三つの意識の状態

 先月末に描いた素描をもとに墨描を始めたが、久しぶりということもあってか、思った以上に難航する。その理由が分からずに、本気になって取り組むが、それでもそこから4日ほどは手応えがなかった。

 ようやく少し納得のできる物が出てきてから、何事があったのかを考えている。

 作品はまだ完成していないが、3つの異なった形となって姿を現している。結末が見えてしまえば、それは今までにも描いたことのある形式なのだが、一つの素描から一度に3つの形式が生まれたのは初めての経験だった。今回これほどに難航したのはそれが原因だったのだろう。

 それぞれは認識の違いなのだが、その差は意識の在り方からきている。つまりは意識、無意識、意識と無意識の両立という3つの形だ。それぞれに、今までも描いたことがある形なのだが、今回は曖昧な気持ちで出発してしまったことが先ず混乱した初めだろう。途中から意識と無意識の両立を目指すが、今までに無い大きさだったので、完成させることができずにいた。いくらやっても出来ないので、どこが間違っていたのか分からずに混乱した。最後に作品の寸法を小さくして決着を見る。

 大きな画面で、意識と無意識を同時に働かせる絵が、今回は出来なかった。しかし、それが分かれば先へ進める。

 今溜まっている絵の具の仕事が片づいたら、再度試して見よう。

晩鳥(ばんどり) 老熟の筆線

水茎堂の創作筆「晩鳥」大 中 小

羊毛にムササビの毛が混じっているので、バンドリなのだろう。

 基本は羊毛なのだが、バンドリが入ることで、筆先が弱くなり与太る。これを凌ぎながら筆を使うのが楽しい。書家が求めるというのが理解できる。

 ヨタヨタ・ヨロヨロした人生を送る私としては、我が身を曝しているような気分になる。

山元春挙、川端龍子の筆

水茎堂さんから届いていた筆を試す時間がなくて、レポートが遅くなってしまった。

左から、

「一徹清玩春挙先生用筆 大」「一徹清玩春挙先生用筆 小」

「龍子先生用筆」

個人的には春挙に寄せて作られた筆が好み。私は基本的には岸派と羊毛の如水を主に使っているのだが、赤山馬を使用したこの筆は、山馬や夏毛(鹿)とも違った独特の味があって気持ちが良かった。
山元春挙は名前は知っているが、その絵を思い出すことが出来ずにネットで検索して思い出した。成程この筆を好んだ訳が分かる。とはいえ、春挙にこだわる必要はない、高性能な筆だ。

比べると「龍子先生用筆」は柔らかく、もう少し柔軟に形を取るのに便利というべきだろうか。彼の絵からすると納得は出来る。

このように、作家に合わせた筆が作られていた時代というのは、なんと贅沢な時代だったのだろう。贅沢さの意味が違ったのだろう。

「攻殻機動隊」のポストモダン

 『攻殻機動隊SACA–2045』をみた時に、この意識が基本になる時代になったのだなぁと、一種の感慨を感じた。

 私が日本という国の1970年頃に聞いた、ポストモダンという言葉の軽薄さは、もうここにはない。

 話は「攻殻機動隊」に戻るが、ラスト近くで草彅少佐が下す決断から先は、商業的なサービスだ。

 私達にとって、更なる苦難以上の解決策はあり得ないと、分かっているはずだろし、Nという時間稼ぎも、ポストヒューマンという未来もあり得ないと分かっているのだから。

 考えてみると、こうした時の身の処し方について、日本の文化はひたすらに鍛えてきたのだった。そこにこそ日本の芸術の特異性があると考えている。

 とはいえ、基本的な時代の意識観がこうなっていると、知っていなければならないと思った。