水墨教室で、普段とは違った甲州箋紙の滲みの強い紙を使った描き方を体験してもらっていた。墨色や筆の変化を楽しめるからだ。
私は水墨画で滲みの強い紙を使うのを好まない。それは表現が曖昧でも、筆や墨の面白さで絵画が成立していると誤解してしまうからだ。そのために基本的には夾宣、福建玉版、粉蓮などを勧めている。
久しぶりに甲州の和画箋を使って描いていると、はじめ慣れずに戸惑っていたが、何枚か描いていると、この紙の面白さが分かってきた。
神経質に詰めるよりも、気分を大らかにして、描いたほうが良い結果が出る。そして明末清初から明治大正時代の文人画家といわれる人達が使う筆癖が分かってきた。
彼らの描いているのは気分なのだ。どうりで詰めて読み取る事ができないはずだった。
それはそれで憂さを晴らし、感傷にふける事は出来るだろう。しかしその先を描いてはいないので、それを知らないと、無い物を求めて迷う事になる。八大山人、浦上玉堂、富岡鉄斎には引導を渡す。