寺田透「繪画とその周邊」を読む

石井恭二の本を読んでいたら、寺田透の文章が引用してあり、興味深く読んだ。とても繊細に物事を感じて、考えている人だと思った。「繪画とその周邊」を発注する。

「僕は偈(仏典などで、韻文の形をとる表現形式 #海野注)といふものを、有るえり抜きの状況において、散文的段取りによらずして意味をつたへる、といふより意味そのものとして炸裂する非常に強大なエネルギーをもった非論理的言語表現といふふうに思っゐるが、このエネルギーを一挙に感じとり、自分のものとするようにあらかじめできてゐる人間でない限り、偈の意味を、その真の現実性において受けとることはできないと考える。分かるには分かるという程度の受けとり方しかできず、偈の語らんとするところは仮説の状態でかろうじてひとり念頭に宿り得るに留まるのである。」

これは偈についての文章だが、美術についても言えることに思える。

氏はさらに批判的に文章を続ける。

「非常に高い独自なものをその狭小な頂点において持っている日本の文化が、その底辺においては無定形な、雑駁な、醜悪、卑猥な様相を呈してゐることの原因も、この辺りにいくぶんかありはしなかろうか。」

良いところを突いている。しかし、では他に解決策があるのかどうかは分からない。分からないところに、芸術が発動するのだとは思う。

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