50年後の三十棒

一週間ほど前、耕山老師の命日に徳雲院へ出かけた。いつものように墓参をして、少し道場で座る。その後で、並べてある遺墨を拝見させて頂く。

 私は老師の生前に警策を拒否した。それが精いっぱいだった。今もその時の老師の姿を覚えているし、幾度となくそのことを残念に思っている。しかし、仕方のないことだった。

 今回、槐安禅窟で「三十棒」と書かれた書と出会って、あの時の棒をやっと受けることができた。慈悲とは三十棒だったのだ。

有り難いことに水墨というのは畫いた者の在りようが如実に現れる。私は、50年以上も前に別れた老師と今も会話ができるのだ。

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